無添加を意識し始めたころは、
正直、ちょっと楽しかった記憶があります。
成分表示を見て選ぶのも新鮮で、
「これは安心そう」「こっちはやめておこう」と、
自分なりに判断できている感覚がありました。
でも気づけば、
「これは入っていていいのか」
「もっといい選択があるんじゃないか」
そんなふうに、だんだん考えることが増えていきました。
子どものおやつを手作りしてみたり、
材料を気にしすぎて、
結局よくわからないものができあがったり。
今思えば、それも一つの経験だったと思います。

楽しかった時期もあった。
でも、その生活をずっと続けるのは、
私にとっても、家族にとっても、正直しんどかった。
一度、何も考えずに過ごしてみた時期もあります。
けれど、ふと将来のことや子どもの健康を考えたとき、
「やっぱり、全部やめるのも違うな」と感じました。
いろいろ試して、行ったり来たりして、
今いちばんしっくりきているのが
「ゆる無添加」という考え方です。
頑張りすぎない。
でも、気になるところは無視しない。
その時々で、自分なりに納得できる選択をする。
この記事では、
無添加を頑張りすぎて疲れてしまった私が、
どうやって「ゆるく続ける」という形に落ち着いたのか。
その過程を、正解を決めつけずに書いていきます。
添加を始めたころは、正直ちょっと楽しかった
無添加を意識し始めたばかりのころは、
今振り返ると、正直なところ「楽しかった」気がします。
成分表示を見るのも新鮮で、
「これはシンプルでいいかも」
「こっちはちょっと気になるな」
そんなふうに、自分で選んでいる感覚がありました。
子どものおやつも、手作りにハマった時期があります。
材料を一つひとつ選んで、
「これは入れない」「これは使いたい」と考える時間も、
そのときは前向きで、充実しているように感じていました。
ただ、だんだんと
「これで本当にいいのかな」
「もっと安全な選択があるんじゃないかな」
と、気になるポイントが増えていきました。
材料を吟味しすぎた結果、
出来上がったおやつが微妙な仕上がりになってしまったこともあります。
もしかしたら、子どもに
「手作りのおやつ=ちょっと苦手」
という印象を与えてしまったかもしれない、と思うこともあります。
それでも、その時期が無駄だったとは思っていません。
楽しかったし、学ぶことも多かった。
「何が気になるのか」「どこまでなら許容できるのか」を、
自分なりに知る時間だったと思っています。
ただ同時に、
この生活をずっと続けるのは、やっぱり無理だな
と感じ始めたのも、この頃でした。
無添加を頑張りすぎて、しんどくなった理由
無添加を意識し始めた頃は、正直とても楽しかったです。
原材料を見るのが新鮮だったり、「これは安心そう」「これは良さそう」と、選ぶこと自体が前向きな行動に感じられていました。
気づけば、「これは避けたい成分」「これは入っていない商品」と、条件をどんどん増やしていくようになり、
選択肢が広がるはずだった買い物が、逆に難しくなっていきました。
子どものおやつも、しばらくは手作りにハマっていた時期があります。
材料を吟味して、なるべく納得できるものを使って…と頑張った結果、
出来上がったものが「安心」でも、「美味しい」とは限らなかったこともありました。
今振り返ると、
子どもにとっては「よくわからない味のおやつ」になってしまい、
もしかしたら少し苦手意識を植え付けてしまったかもしれないな、と感じることもあります。
この時期の経験が無駄だったとは思っていません。
試して、悩んで、考えたからこそ見えたこともたくさんありました。
ただ、これを毎日の生活として続けるのは、正直きつかった。
自分にとっても、家族にとっても、どこか無理が出ていたと思います。
その反動で、いったん何も考えずに生活していた時期もありました。
「もう気にしない」と決めたつもりでも、
ふと将来のことや子どもの健康を考えると、また気になり始めてしまう。
頑張りすぎて、緩みすぎて、また考えて。
この行き来を繰り返す中で、
「私には“ちゃんとやる無添加”より、“続けられる無添加”のほうが合っている」
と、少しずつ気づいていきました。
ゆるめてよかった、と今思う理由
無添加の取り組みを少しゆるめてから、生活全体が静かになりました。
「これで合っているかな」と常に考え続ける感じが減って、
選択そのものに疲れなくなったのが一番大きな変化です。

今の私は、
基本は無添加を意識しつつ、状況によって柔軟に選ぶ、というスタンスです。
手作りが楽しい時期もあります。
逆に、余裕がなくて宅食や外食に頼る日もあります。
どちらも「ダメ」ではなく、その時の自分に合った選択だと思えるようになりました。
以前は、
「こうあるべき」「ここまでやらないと意味がない」
という考えが、自分の中に強くあった気がします。
でも今は、
細かい条件を積み上げるよりも、
続けられること・家族が無理なく過ごせることを大事にしたいと思っています。
外食ひとつ取っても、
すべてを完璧に把握しようとすると、動けなくなってしまいます。
だから「今日はこれでいい」と納得できる選択ができることを、
良しとするようになりました。
無添加を頑張りすぎていた頃より、
今のほうが、生活はずっとバランスが取れていると感じています。
なにより、ストレスが少ない。
子どもに対しても、
「こうしなさい」と押し付けるより、
「どうかな?」と一緒に考える姿勢を見せたいと思うようになりました。
正解を教えるより、
考え方を見せるほうが、長い目で見て大切な気がしています。
ゆるめたことで、
無添加をやめたわけではありません。
むしろ、自分の生活に合った形で、ちゃんと続いている。
そう感じられる今の状態が、
私にとってはいちばんしっくりきています。
子どもに伝えたいのは「正解」より「選び方」
無添加について考える中で、
いちばん悩んだのは「子どもにどう伝えるか」でした。
何が良くて、何がダメで、
これは避けたほうがいい、これは安心。
大人が知識として持つ分には役に立つけれど、
それをそのまま子どもに当てはめようとすると、どこか苦しくなってしまいます。
以前は、
「これは体に良くないからダメ」
「これは無添加じゃないから選ばない」
そんな言い方をしてしまいそうになる自分もいました。
でもそれって、
子どもにとっては理由よりも
「制限された」「否定された」という感覚だけが残ってしまう気がしたんです。
今は、
「これはこういう理由で、今日はやめておこうか」
「今日はこれでいいと思ってる」
そんなふうに、選んでいる途中の考えを見せるようにしています。
完璧な判断をする姿より、
迷いながらも考えて選ぶ姿を見せたい。
生活の中では、
白黒はっきりつかない選択のほうが多いからです。
無添加にしても、食事にしても、
「こうでなければいけない」ではなく、
「今の自分たちには、どれが無理がないか」。
その視点があるだけで、
子どもにとっても、選択は窮屈なものにならない気がしています。
無添加を続ける理由も、
「絶対に正しいから」ではなく、
「今の生活には、これが合っているから」。
その姿勢を、
言葉ではなく、日々の選び方として見せていけたらいいなと思っています。
子どもとの無添加の向き合い方については、
考え方そのものを整理したページもあります。
正解を決めないスタンスでまとめています。
無添加を続ける中で、
私自身の考え方は少しずつ変わってきました。
「正解を守ること」より、
「続けられる形で選ぶこと」。
そう考えるようになってから、
無添加は“頑張るもの”ではなく、
生活の一部になった気がしています。
それでも迷う日はある、という前提
ここまで書いてきたように、
今の私は「ゆる無添加」がしっくりきていると感じています。
でも、それは「もう迷わなくなった」という意味ではありません。

正直に言うと、今でも迷う日はあります。
忙しい日や、気持ちに余裕がない日。
外食が続いたあとや、疲れがたまっているとき。
「今日はもう考えたくない」と思うことも、普通にあります。
以前の私なら、
そんな日を「ちゃんとできていない」と感じて、
あとから罪悪感を抱いていたかもしれません。
でも今は、
迷う日があること自体が、悪いことではない
と思えるようになりました。
無添加を意識する生活は、
毎日同じ条件で続くものではありません。
体調も、時間も、気力も、その日によって違います。
だから、
今日は考えられない日があってもいい
今日は選ばない日があってもいい
今日は「これでいい」と決める日があってもいい
そうやって、波がある前提で考えるほうが、
結果的に長く続くと感じています。
無添加を続けることが目的になってしまうと、
選択がしんどくなってしまう。
でも、生活を楽にするための無添加なら、
迷いながらでも十分だと思うのです。
大切なのは、
迷っている自分を責めないこと。
そして、また戻ってこれる場所を持っておくこと。
このブログも、
「ちゃんとできていない日」に
そっと戻ってこられる場所でありたいと思っています。
無添加について考えすぎて疲れてしまったときは、
「水」だけ切り出して考え直すのもひとつの方法です。
PFASを知って不安になったあと、
どう整理すればいいかをまとめたページはこちらです。
▶ 水選びに迷ったら|PFASを知った後の水選びを整理するページ
それでも、
「もうこれ以上考え続けるのがしんどい」
と感じる日も。
そんなときは、
考える負担そのものを減らす、という選択肢もあります。
RO水を使ったウォーターサーバーについては、
向いている人・向いていない人を、正直に整理しています。
まとめ:無添加は「頑張るもの」じゃなく、戻ってこられる場所でいい
無添加について考え続けてきて、
今の私がいちばん大切だと思っているのは、
完璧に守ることより、続けられることです。
無添加を始めたばかりの頃は、
「正しい選択をしなきゃ」
「ちゃんと選ばなきゃ」
そんな気持ちが先に立っていました。
でも、頑張りすぎてしんどくなったり、
一度全部手放したくなったり、
その行き来を経験したからこそ、
今はこう思っています。
無添加は、
生活を縛るルールでなくていい。
調子がいいときに意識して、
余裕がないときは離れてもいい。
そしてまた、
「少し気になるな」と思ったときに、
戻ってこられたらそれで十分。
子どもに見せたいのも、
完璧な食生活ではなく、
迷いながら選び直す姿勢です。
正解を押し付けるより、
「どう思う?」と一緒に考えること。
その積み重ねのほうが、
きっと長い目で見て意味があると感じています。
無添加は、
続けられる形でいい。
波があっていい。
迷ってもいい。
そう思えた今の状態が、
私にとってはいちばん自然な「ゆる無添加」です。
もしまた、
「ちょっと頑張りすぎているかも」
「考えすぎて疲れてきたな」
と感じたら、
この考え方を思い出してもらえたら嬉しいです。

無添加は、
いつでも戻ってこられる場所 😊